ウズベキスタンの音楽隊

ウズベキスタンで、正倉院宝物に似た楽器が描かれたゾロアスター教関連の板絵が出土したと、帝塚山大(奈良市)などのチームが2日発表。ウズベキスタンは、キルギスの西方の国です。そして、キルギスと言えば、ナゾの氏族との関係が!

 

新たに発見された板絵

11/2付の共同通信のニュースで、

8世紀初頭に焼けたウズベキスタンにあるシルクロード都市の遺跡「カフィル・カラ城」で、正倉院宝物に似た楽器が描かれたゾロアスター教関連の板絵が出土したと、帝塚山大(奈良市)などのチームが2日、発表した。
引用URL:https://this.kiji.is/298743777874134113

という記事を読みました。
 

木製で、縦1.3メートル、横1.4メートル。
最上段に女神、下段にハープに似た弦楽器や琵琶とみられる楽器を奏でる楽隊が掘られているということです。
 

2枚め以降のアルバム作成にあたり、かなり多方面への勉強が必要になりました。いろいろと勉強中なのですが、中でも日本に関することを結構調べなおしています。
身近なはずの「古事記」「日本書紀」について、自分が全くの無知であったことに衝撃を受けたりして恥ずかしい限りですが、いつまでも戦後教育を呪うわけにも行きませんので、反省しながら勉強し直しているわけです。
 

歴史は難しい側面があります。学んできた歴史と、学び直した歴史のギャップが半端ないですし、諸説入り乱れて、何が真実なのか分からなくなります。政治的な側面によって、語られる内容が変わる、ということもあるのでしょう。
 

バカな酒飲み話的なハナシ

ここからは、妄想に満ちた戯言になるのですが、くだらないけれど古代ロマンに少しわくわくしたい方は、お付き合いください。
ムー的なハナシも含まれますので。
 

古代日本に渡来してきたと考えられている氏族の秦氏はたうじ/はたし。日本書紀によると、5世紀ごろに秦氏の祖「弓月君ゆづきのきみ」が、「百二十あがたの民を率いて」帰化したことが書かれています。
 

120県って何人なのさー!
このあたりから、分からないものです。昔は4~5村で1県、と考えて
1村100人×4村×120=4万8,000人(~6万人)
というのが、目安。
結構大量の外国人です。
当時の人口のことも考えれば、かなりの比率になりそうです。
 

この秦氏は建築などの技術が優れており、神社をどんどん建設。日本の神道や仏閣の元を作っていきます。
 

今も残る重要な神社は、秦氏が作ったもの。映画村で知られる、太秦うずまさも、秦氏関連。
 

弓月君はどこの人?

この秦氏のルーツが、結構ナゾとされています。
秦の始皇帝の末裔説や、秦人が朝鮮半島に逃れて建てた秦韓国王の子孫説、新羅系渡来氏族説、百済系渡来氏族説、中国五胡十六国時代の羌族が興した後秦説、苻氏ふしが建てた前秦の王族貴族系説……などなど。
 

面白いのは、徐福じょふく伝説と絡んだ、始皇帝の不老不死探検隊の子孫説。
景教徒(キリスト教の一派)のユダヤ人とする日ユ同祖論。
あと、太秦に文字の近い「大秦」は、当時中国では「ローマ」のことなので、実は秦氏はローマ人説。
 

またウイグルには「弓月城」があり、さらにその「弓月城」の近くには、ヤマトという地名もあるそうです。
 

そして、キルギス。
キルギスの伝承では「大昔、キルギス人と日本人が兄弟で、肉が好きな者はキルギス人となり、魚を好きな者は東に渡って日本人となった」(出典:http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/16/etc_0422.html)というのがあるそうで。これも弓月君候補です。
「キルギス人」で画像検索すると、日本人とキルギス人は結構似ている感じもします。
もっと拾い集めると、「ヤキブの12人の子供のうち、マナスの子孫がキルギス人である。そして、マナスの兄弟は東に行った」というのもあるそうで、これが前述の伝承と同じものでしょう。
「ヤキブ」という名前……、これを旧約聖書のヤコブだとすると……。
 

日ユ同祖論は面白いものが多く、飲みながら語る酒飲み歴史ロマンとしては、興味をそそるものがあります。
籠目かごめ紋と六芒星。嘆きの壁にある「十六菊花紋」。もー、いろいろ!
 

話はそれますが、ニューヨークの都市計画の功労者に関西出身の日本人がいて、それが秦さん。ニックネームが「はったん」。
彼の偉業をたたえ、「偉大な男はったん」ということで「The Man Hattan(ザ・マンハッタン)」ができたとか……。
 

すり替わった記憶

なぜか、私は長いこと弓月国というのは「ウズベキスタン」のことだと思いこんでいたのでした。
11/2のニュース「正倉院宝物に似た楽器が描かれたゾロアスター教関連の板絵が出土」ということなので、琵琶などの楽器は、ウズベキスタン→キルギス→百済経由で秦氏渡来とともに日本に、という可能性もあるのかもしれません。