記憶の中の音と風景
3月は、なんだか自分自身の事で忙しく、トライアングルマーチのことがあまり進められなかったカンジ。まぁ、怒濤の忙しさといえば忙しさだったなぁ。 とはいえ、新しいソフト音源の使い方を模索して、作ってある曲の打ち […]
3月は、なんだか自分自身の事で忙しく、トライアングルマーチのことがあまり進められなかったカンジ。まぁ、怒濤の忙しさといえば忙しさだったなぁ。
とはいえ、新しいソフト音源の使い方を模索して、作ってある曲の打ち込みを、少しいじったりしました。
水木しげる先生の、……どの作品だったか忘れてしまいましたが、水木先生がアリャマタコリャマタ氏とともに、肉体を離れ、魂だけになって縄文時代に行くマンガがありました。その中で、縄文人の音楽について「現代的な響き」だったか「現代音楽のような響き」だったか(ハッキリしないのですが)、と解説してあるところがあって、かなり印象的でした。
で、不思議なことに、なんだか、私も縄文人の音楽を聴いたことがあるような気になってしまったのです。和音が、結構ハッキリイメージできるというか……。
こういうの、変なカンジですよね。
そういえば、とある掲示板で書き込まれた「記憶が2つあるんだが」というハナシが、すごかった。
その人は、小4あたりから19才くらいまでの期間に、二つの記憶があるらしい。
一つは、まぁ、いわば平凡な学生生活の記憶。もう一つは、謎の国で暮らした記憶。
その国の言葉を書いて写メをアップしたら、未解読の奇書「ヴォイニッチ写本」の文字に似ている(!)という指摘。
イエール大学に所蔵されている「ヴォイニッチ写本」は、スキャンされてネットで見ることが出来るため、その人に見てもらったところ……所々読める(!)という、なんとも不思議な話。昨年(2011年)8月の出来事。
下のサイトにまとまっていたので、興味のある方はどうぞ。
http://trackback.blogsys.jp/livedoor/worldfusigi/4300708
写真は、話題と関係ないのですが、100円均一の真っ白ジグソーに絵を描いたので、それを撮影してみました。