アイヌ神謡集のこと

F氏との対談の中で、アイヌ神謡集のことをさらりと述べました。 「これ、なかなか聴いたことがない人も多いと思うから、Blogのほうに書いといたら?」とF氏からアドヴァイス頂きましたので、少し書いておこうと思います。 &nb […]

 

F氏との対談の中で、アイヌ神謡集のことをさらりと述べました
「これ、なかなか聴いたことがない人も多いと思うから、Blogのほうに書いといたら?」とF氏からアドヴァイス頂きましたので、少し書いておこうと思います。
 
アイヌ神謡集は、高校生の頃岩波文庫『アイヌ神謡集』を読んで、面白い世界だなぁと感じ、当時好んで読んでおりました。知里幸恵が編纂・翻訳したアイヌの神謡『カムイユカラ』を集めたものです。
ここに収められたアイヌ神謡は、「神が自ら歌った~」形式をとっていて、一人称として神様目線で物語が表現されています。
 
面白いのは「私は私の体の耳と耳の間に坐っていましたが~」という言い方。精神と肉体が別れているような表現が、当時の私にはツボっていました。魂と肉体、みたいな考え方は、まあ古代からあるのかもしれませんが、なんとなく心のありかって、胸(ハート)にあるような表現が普通だろう、という印象があって、意識が「耳と耳の間にある」……すなわち頭にあるって感覚に、驚いていました。デカルトの物心二元論っぽくもありましたし、「これ、松果体のことだろ」などと勝手読みしてハマっていたのだと思います。
 
その後、偶然『「アイヌ神謡集」をうたう(中本 ムツ子)』というCDを手に入れ、はじめて音として「アイヌ神謡集」を聴くことができました。
 
素朴なような、不思議なCDでした。
 
岩波文庫では、(例として、梟の神の自ら歌った謡「銀の滴(しずく)降る降るまわりに」の出だし部分)
 
“Shirokanipe ranran pishkan, (シロカニペ ランラン ピシカン)
konkanipe ranran pishkan.” (コンカニペ ランラン ピシカン)
arian rekpo chiki kane(アリアン レッポ チキ カネ)
petesoro sapash aine, ……(ペッテソロ サパシュ アイネ)
 
のように記されているのですが(カタカナは私が勝手につけています)、中本ムツ子さんの朗読(謡)では……
 
シロカニペ ランラン ピシカン
コンカニペ ランラン ピシカン(ここは記されている通り)
アリアン レッポ ピシカン
チキ カネ ピシカン
ペッテソロ ピシカン
サパシュ アイネ ピシカン……
 
と、すべてに「ピシカン」が付くのです。
これがミョーなリズムを生んでいて、トランスだか洗脳だか分からない、独特の気分になります。「ピシ感」満点です。
シマフクロウの神の歌は、ずっとピシ感付きで歌われます。
 
これが、狐が自ら歌った謡「トワトワト」になると、今度はすべてに「トワトワト」がつく、という具合です。
つい、トワトワとしてしまいそうになります。
 
ところどころ、言葉が長くてリズムが伸びる(拍が+される)部分があり、微笑ましい感じがします。
これ聴いた時、なんだか西洋音楽に毒されていない、「音楽の原型」みたいなものを感じました。
トライアングルマーチの変拍子愛みたいなものは、そんな原体験に基いていると思います。
近似値としての音楽
 
「アイヌ神謡集」は、青空文庫で読むことが出来ます。
アイヌ神謡集
序文は名分として評価されているそうです。
 
青空文庫にはありませんが、岩波文庫の解説は、知里幸恵の生涯を知る感動的なものとなっています。
 
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